うつ病で人生めちゃくちゃになった僕が復活した経緯

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うつ病で人生めちゃくちゃになった僕が復活した経緯

うつ病は人生をめちゃくちゃにしかねない恐ろしい病気だ。

かく言う僕もその一人で、24歳でうつ(その後双極性障害と判明)になり、その後の2年間は坂道を転げ落ちるように人生がめちゃくちゃになっていった。

もしこれを読んでくれているあなたが同じような、もしくは似たような境遇なのであれば(もちろんそうじゃない人も)、ぜひともこの記事を最後まで読んでいただきたいと思う。

正直、この記事を読んだだけで今の現状が変わるわけではない。

だけども、一度死の淵までさまよってもこうして踏ん張って生きているという人間がいるということ、このことだけはこの記事で伝わってくれれば嬉しい限りである。

1.僕がうつ病で人生がめちゃくちゃになった経緯

1-1.大手に就職するもうつになる

手前味噌ではあるが、私は24歳までは割と順調に人生を歩んできたと思っている。

だいたい学歴は中の上、就職も30代半ばで1000万はもらえるような大手の会社に就職できた。

暗雲が立ち込めたのは25歳になる直前のこと。

仕事上で人間関係の板挟みにあってしまい、精神的に参った状態が続いていた。

今思えばそんなこと自分の責任ではないのだから放っておけばよかったものの謎の責任感が発動してしまい、

「自分がこの職場の状況をなんとかしなければならない」と必要以上に背負いこんでしまい、自分自身を必要以上に追い込んでしまっていた。

そんなある日、朝6時から職場で仕事をしていると、手が震えて仕事にならなくなってしまった。

「これはきたな」と思い、「もう無理です」的な文言を書いたメモを残して職場から脱走した。これがXデーである。

1-2.ベンチャーに行くも1ヶ月で退職してニートへ

その後休職し、周りの支援もあって復職するも、残りの40年弱を一度メンタルブレイクした場所で過ごす自信はなく、退職を決意した。

その次の選択が過ちであった。

大きな組織の人間関係のごちゃごちゃから離れたかった自分は、思い切って従業員4人の企業に就職した。

しかし甘くはなかった。

仕事ではとにかく早期に数字をだすようにという焦りから、とにかく労働時間を増やした。多分16時間ぐらいは働いていたと思う。

しかし休みの土曜日にきたメールをすぐに返さなかった件で月曜日の朝に追い込まれ、入社わずか1ヶ月でメンタルブレイク。

Xデーの日は午前中からめまいが止まらず、過呼吸でトイレで倒れているところを発見されたらしい。

2日ぐらい声が出なかった。

4人の会社がこんな弱々しいやつを抱える体力はなく、退職勧奨の上逃げるように退職、その後は半年ほど休養という名のニートになった。

1-3.地元の企業に再就職するも、また半年で退職

半年ほど休息をとり、地元の不動産会社に就職することになった。

もう自分を隠さずに行こうと思い、過去の自分に起きたこと、今自分が抱えている病などを面接でオープンにし、それでも受け入れてくれたところだった。

しかし入社した直後から僕は問題児扱いになっていた。

自分が特に何かをしでかした記憶はない。でも直属の上司から見たらなんでこんな爆弾雇ったんだと思ってたんでしょうな。

同時期入社の同年代が他に3人いたが、自分だけ違う仕事をすることになった。

理由はこいつを外に出せないから。だったらしい。

ほんで事務仕事が一気に自分に降りかかってきたよね。それで労働時間急増でまたもや休職。その後退職。

そこからの記憶はあまりない。途切れ途切れある記憶にあるのは

「人生終わった」
「どうしてこうなった」

の2つのみ。

光も何も見えないまま、働きたくないわけではないのに再び無職となった。

1-4.追い打ちをかける離島逃走

3度の退職を経験した自分はもはやかつての身体ではなかった。

復帰をしようとアルバイトや業務委託を試みるも、職場環境が悪くないにも関わらずすぐに離脱するという状況が続いてしまった。

そんな日々が続いた中、自分以外にもストレスを貯め続けていた人がいた。親だ。

僕の卑屈な態度、そして双極性障害特有の気分変動に参ってしまったらしい。

「いつまで実家にいるの?」という雰囲気も出されるようになっていった。

当然僕もこんな家は今すぐにでも出たい、でも合計1年ほど無職期間があったわけだから当然お金もない。

冷静じゃない当時の脳みそで出した結論は農業の住み込みをすることだった。

思い立ったその日に西表島の農家に電話、二日後には出発していた。

浅はかながら自分は農業に対して、「心が清らかになる」というイメージを持っていた。

現に叔父が農業をやっていて、休職期間に手伝った時に心を洗われたからだ。

しかし私が住み込んだ農業の社長はまあブラックだった。

肉体労働が厳しいことはまあ別にしょうがないとして、暴言・人格攻撃をひどくくらった。

体調が人生史上最悪だった自分がそんな環境に耐えれるわけはなく、1週間で過呼吸発生。

その3日後にはクビになり、なくなく実家に帰宅せざるを得なくなった。

帰路の途中、人生どうでもよくなっていた僕は帰り道の那覇でもともと少ない全財産を使い、比喩じゃなく無一文で帰宅した。

1-5.自殺未遂からの引きこもりへ

ここまでも十分黒歴史だが、ここからは本当に黒歴史だ。

とりあえず生きるという選択肢を選べた自分は、もはや人生には一発逆転しかないと思うようになっていた。

しかしここまで職を転々とし、何のスキルもついていない自分に逆転できるものなどなかった。

そんな中、勉強ただ1点のみの努力で逆転できるものを見つけた。医学部である。

高齢受験で合格例の多い大学を徹底的に調べ、勉強に本腰を入れるようにした。

しかしわずか1ヶ月で教材を買う金が尽きた。当たり前である。

そこで親に交渉をする家族会議をしたが、全く取り合ってもらえず気分変動が起きて激昂してしまった。

基本的に僕は激昂しても物理的に人を傷つけることはないのだが、参っていた父親がついに僕に手を出してきた。

火に油を注がれた僕は詳細は伏せるが自殺未遂をした。そして裸足のまま家から逃走し、交番に被害届をだした。

26歳にもなってこんなことになっている自分は人生めちゃくちゃ以外の何者でもないと流石に思ったよ。

この件で親も流石に「こいつやばい」と思ってくれたのか、それ以上何も言わなくなった。

そこからは僕はもう何も考えることはせず、ただただ引きこもることにし、そのまま人生が終わるのを待った。

2.どん底から僕が復活した経緯

2-1.仕事をくれた友人と就職活動の決意

引きこもって2ヶ月ぐらいがたった。その2ヶ月間で家を出たのは4回ぐらい、全て徒歩0分にあるスーパーだけだった。

このまま人生が終わってもいいと思っていたが、病院に行け行けうるさいので仕方なく行くことにした。

病院は都内で遠かったので、せっかくなのでその病院を行く日に、とある友人(Aとする)と会う約束をした。

この日がなかったら今どうなってたかなーって今でも思う。笑

まずAと会った。Aは僕の状態をわかっている一人だ。

またAは自分で事業をやっていて、僕がニートの間も単発で仕事を何度かふってくれたりしていた。

そんな中で、家でもできる定期的な仕事を提案してくれた。

お金をもらえる仕事をくれることも嬉しかったが、その何倍も嬉しかったのがわざわざ自分を指名して仕事をお願いをしてくれたことだ。

誇張なしに2年ぶりぐらいに自分の価値を感じることができた気がして、もうちょっと生きてみてもいいかなと思った。

その後病院に向かい、再就職の提案をされた。

Aと会っていなければ聞かなかったところだが、少し気力が湧いてきたので話を聞くことにした。

再発しないためにどんな仕事にすれば良いか、どのような働き方をすればいいかなどを聞き、結論としてIT系を勧められた。

もともと大学で情報の名のつく研究室にいたし、PCスキルのなさにコンプレックスを感じていたので、26歳未経験は大きなハンデだが、挑戦してみることにした。

2-2.再就職活動の中で、もう一人の恩人に出会う

みんな就職活動や転職活動に臨む際、「少しでも自分を良いように見せたい」と思うのが自然だろう。

かつての僕もそうだったし、テクニックとして使ってもいた。

でもこの時の僕はもう全てを失った手ぶらの状態で臨んだから、一切そのようなことはせず、「できること」と「できないこと」をはっきりと偽りなく話した。

もちろん、落ちに落ちまくったが気にはしなかった。だって受ける前から落ちるとこまで落ちてるから。

その中で1社、興味深い会社に出会った。結論から言うと私が今在籍している会社である。

この会社はIT業界はブラックのイメージが強い中、従業員ファーストでモチベーションを維持することで生産性をあげることで成長するというポリシーを持っていた。

そして社長(Bさん)と面接した際、「君のような人でも働きやすいと言ってくれればウチは本物だから、試して見たいな」と前向きなことを言っていただき、採用していただいた。

実際入社した後も、体調を崩しやすい僕に極力合わせてくれる姿勢をとってくれた。本物だった。

こうして僕は、周囲の方々の支えと上記の2人の恩人により奇跡的な復活を遂げることができたのである。

3.なぜ僕は復活できたのか

今では、当時から続いている頭痛などの負の遺産は若干残るものの、ほとんどが病気をする前の体調で過ごすことができている。

また、何より驚いてるのことがある。

確かに病気になる直前と今の私を比べたら、年収や大企業ブランドなどのステータス面においては第三者が見たら下がっていると言われるであろう。

しかし私自身の主観で測る人生の幸福度、つまり数字で測れない部分がむしろ以前より上昇しているのである。

こうして心の余裕が生まれた僕は、「なぜ自分は復活できたのか」と時々考えるようになった。

運が良かった?

もちろん確かにそれもある。

でも多分以下3つのことが大きかったんじゃないかなと今では思ってる。

3-1.生き続けたこと

本当にこれはどん底を味わった人にしかわからないかもしれないけど、最もやばい時期って

「生きる」というただこれだけのことがものすごく辛い。いや本当に辛いのよ。

起きるもの辛いし寝るのも辛いし1日が過ぎていくことも、ただぼーっとしてるのも辛い。

なにしても辛いから本当に命を絶った方が楽になるんじゃ無いかと本当に思うわけ。

だからそれだけ辛い状態の人が「生きる」ことができてるってすごいこと。

今の僕がやばい時期を振り返っても「よく生きてたな」って思う。

だから、「こんなこともできない」とか誰々と比べて自分は。。。とか思う必要も無い。

「生きる」っていうスーパーハードなことができてるだけで十分すごいよ。

「こんな状態なのにちゃんと生きてる自分ってすげーわ」

って少しでも思えたことから僕は変わりはじめた気がする。

3-2.離れていく人に目を向けず、離れない人に目を向ける

正直、調子のいい時には人が寄ってくる。

僕も24歳まではけっこう人に囲まれて幸せに過ごしてきた。

でも残念ながら病気を機にスーッと離れていく人もいた。
(もちろん、気遣いで一時的に離れてくれてる人もいたがその違いはもちろんわかっている)

これ結構辛いんですよね。何が辛いって「変化率」が。

もともと「無い」のよりも、「失う」方が何倍も辛い。

例えば、

①1000円を無くした
②宝くじで100万当たって受け取った翌日に99万を盗まれた。

この2つでは結果だけ見れば①は1000円を損した、②は1万円を手に入れたってことになるんだろうけど、②の方が数段ショックであることは想像に容易いと思う。

このように失うことは大変辛い。そして意識が「失う」というところに集中してしまうため、負のスパイラルにハマってしまうのである。

そんな中大事なことは、「残っている人・モノ・コト」に注目するコトだと思う。

少なくとも自分がどん底だと思っている時、離れないでいてくれる人は自分の表面的な部分以外を見てくれている可能性が高い。

僕はこのように「失う」から「残る」に意識をシフトした頃から変わって行けたような気がする。

3-3.「すべき論」に「してもよい論」を追加する

これ本当にね、自分で自分を追い込む傾向が強い人にありがち。

なんでも「◯◯すべき」って思っちゃう。

当然この性格のおかげで成果を上げてきた人も多いから否定もしないし、僕も結構「すべき論」のおかげで結果を出せたこともある。

でも「すべき論」って、結果が出ない時にすご〜い弱いのね。

それですべき論の人が結果を出せない時にどういう思考回路になってしまうのかっていうと、

「結果を出せない自分なんて抹消”すべき”」

というマイナス方面のすべき論が発動してしまう。

だから結論としては、「してもよい論」も武器として持っていた方が良い

「こんな自分もいても良い」「ダメな自分もいても良い」

とかね。全部「しても良い」に変える必要は無い。あなたの「すべき論」は立派な武器だから。

だから「してもよい論」に”切り替える”のではなく、”追加する”ってことが大事。

調子のいい時は「すべき論」、悪い時は「してもよい論」って感じにね。

僕も最初はこんな器用な切り替えできなかったけど、少しずつ切り分けられるようになってから楽になったかな。

4.いま、うつ病で人生めちゃくちゃになったと思っている人へ

よく誰かを元気付けたい時に言われる、

「いつか必ずいいことが待ってるよ!!」だとか「あなたは一人じゃなよ!!」

などの慰めを言葉を言う気は毛頭無い。

本当にやばい時はこれらの言葉が届かないことを、僕が身をもって経験しているからだ。

だから一つだけお願いするとすれば、1ヶ月毎にこの記事を読んでほしい。

おそらく今あなたがしんどい状況なのであればこの記事の感想は、

「どうせ結果論で自分には関係ない。自分が同じように復活するとは思えない」

といった感想になるだろう。しかしそれでいい。

僕も本当にやばい時はいろんな人の経験談を見たり聴いたり下が誰の声も響かなかった。

「誰の声も響かない」と自覚してもらえるだけでも十分役に立てたと思っている。

しかしながらもしあなたが1ヶ月後、今よりも幸せになることができてこの記事を見た時はきっと感想は変わるはずである。

「あー、ちょっとだけだけど言ってることわかるかもしれない」

みたいな感じで。

だからこの記事はあなたの「心境の変化をモニタリング」に使って欲しい。

どう感じるか、どう思うか。

説法垂れたことはしたく無いので、これだけに使ってくれれば、嬉しい限りです。

著者情報
この記事を書いた人
みつる

新卒で金融機関に入社し、24歳でうつになり(後に双極性障害を判明)退職。
その後職を転々とし自殺未遂までするほど人生追い込まれるも周囲の支えによりSEとして社会復帰し、2021年よりフリーエンジニアに。

金融機関勤務で養ったファイナンス知識と現在のフリーランスエンジニアという立場を生かし、フリーランスの役立つファイナンス知識を中心とした本メディア「財Tech」を開設

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